樋口毅宏さんの『二十五の瞳』を読みました。
この本は、正直なところ自分では選ばないだろうな、という作品。
彼が樋口さんのファンで、文庫で新刊が出る度に買ってきて勧められます。
樋口さんの作品は、読めば物語に引き込まれるし、強いメッセージ性があり、何かを考えるきっかけにもなります。
だけど、目を背けたくなるような暴力シーンや性描写も多く、こう、読むのに覚悟がいる感じ。読む時と場所を選ぶというか。
そういうわけで、この本を開くきっかけがなかなか掴めずにいたところ、小豆島がらみのイベントに参加することになり、これはいい機会だ!と。
イベントまでに読んでおきたいと思い、ようやく手に取りました。
小豆島の伝説上の生き物「ニジコ」と、それにまつわる悲恋の物語。大きく4つの話に分かれ、平成、昭和、大正、明治と時代を遡ります。
相変わらず、「面白い!」「好き!」と手放しで称賛はできないのだけど。
というのも、樋口さんの小説には、いつも作者自身の好きな作品や人へのオマージュがたくさん散りばめられていて、元ネタがわかる人でないとついていけない部分もあります。
唐突なエヴァンゲリオンのセリフとか・・・。リリン?何?と思って調べてようやくわかったような、わからないような。
とは言え、とても興味深くどことなく芸術的でもあるな、と感じた本作品。
読んでいるうちにどこまでが本当で、どこまでが架空のことなのかがわからなくなり、物語にどんどん引き込まれていきます。
いろんなネタがごちゃ混ぜなのに、最後には全て同じテーマでまとまっていて。
短編小説っぽくもあり、悲しい男女の別れがそれぞれに描かれていて、どの話も少しずつリンクしているという。こういう構成、好きです。
例えば、伊坂幸太郎の『終末のフール』や『死神の精度』のような。
4組(正確には作者も入れ(笑)5組)の男女の物語を通して、男性の弱く愚かな面を感じずにはいられませんでした。
だからといって男の人を非難するとかではなく、対照的に女性には精神的に強く、したたかなところがあるからこそ、世界はバランスが取れているのかな、と。
権力や腕力では男性の方が優っているかもしれないけど、心は繊細で情けない部分もあるということをわかった上で接した方が、恋愛や夫婦関係もこじれにくいのかもしれません。
ところで、樋口さんの作品がとっつきにくいもう一つの理由に、共感できる要素が少ない、というのがあります。
これについては、作者がインタビューで、白石一文氏の小説から影響を受けたことについて、次のように語っています。
なんの共感も得られない主人公が何の成長もしない...そしてそれでいいんだと。
今回の作品でいうと、特に3話に出てくる放哉なんかが、救いようのない駄目っぷりで全くもって共感できません(笑)
作者は、きっとそれも狙っていたと思うので、彼の救いようのなさも、この小説の魅力の一つなのだと思います。
小豆島をきっかけに読んでみましたが、物語の軸となっている映画『二十四の瞳』、高峰秀子や尾崎放哉についても、もっと知りたいと思うようになりました。
恥ずかしながら、高峰秀子という女優さんの名を知りませんでした。
彼女のエッセイもぜひ読んでみたいと思います。
「自分が大いに影響を受けた、大好きな人を再評価へと導く」という思惑に、まんまとはまってしまったことも、作者の期待通りなようで少々悔しくもあります。