晴れの国から旅まち巡り

岡山に移住した三重県人によるブログ。岡山を中心に旅やグルメの記録を発信。

名物「大元鍋」に舌鼓。初夏の神道山で新緑の中を散歩してきました

岡山に引っ越して来るまで知らなかったのですが、岡山市内には幕末三大新宗教の一つ、黒住教の本部があります。

 

黒住教は、備前岡山藩の守護神社・今村宮の神官であった黒住宗忠(1780~1850)が、江戸時代(文化11年11月11日・西暦1814年)に開いた教派神道です。幕末三大新宗教に数えられ、神道十三派の草分けです。
黒住教について | 黒住教

 

ちなみにあとの2つの天理教と金光教のうち、金光教も岡山で始まった宗教で、浅口市というところに本部が置かれています。 

 

 

大元鍋はお供えさがりを具材に

先日縁あって黒住教本部のある神道山(しんとうざん)で食事の機会をいただきました。「神道山茶店」という食事処で食べることのできる、名物の「大元鍋」。友人親子が4人分の食事券をもらったからと誘ってくれて、 幸運のおこぼれに預かることに。

青々とした新鮮なほうれん草がたっぷり。御神前にお供えする海幸山幸、すなわち海のもの山のものが主な材料となっています。味付けは鰹だしと塩のみでとてもシンプルですが、具材の味がスープによく沁みわたり、あとから紹介する春雨を入れることでスープの味までしっかりと楽しめます。

塩と水も日々お供えされているものを使います。お供えさがりをそのままいただくのが大元鍋の特色だそうです。

 

まずは鶏肉から火を通します。若鳥の切り身と鳥モツ、砂ずりも。

続いて魚介類と豆腐、ほうれん草以外の野菜を投入。火が通ったらほうれん草を入れて、最後に油で揚げた春雨を入れてお玉で押さえます。 

この揚げ春雨が特徴的で、またいい仕事をしてくれるのです。柔らかくなった春雨が鳥肉類や魚類の味をつなぐ役目を果たしていて、付けだれを用意しなくても物足りなさを感じません。鳥モツもほとんど癖がなく食べやすいです。

 

材料さえそろえば家庭でも作れるようです。レシピはこちらを参考に。

大元なべ: 勤番のひとり言

神道山茶店の大元鍋は、要予約です。料金は(おそらく)一人3,000円。詳細は問い合わせが必要ですが、関係者でなくても利用できるのでご安心を。

黒住教教典の原典がここに...黒住教宝物館「まることセンター」--神道山のご案内

 

新緑が気持ちいい木々に囲まれた境内

せっかくなので、本殿までお参りに行くことに。 

なんと山の中に動く歩道があり、こちらを使うとだいぶ楽です。こういうお金の匂いのする設備には賛否両論ありそうですが(;^ω^)それを差し引いても緑が本当に気持ちよくて、清々しい場所でした。

山の木々に囲まれた本殿。この日は快晴で青空がまぶしかった。

境内は静かで落ち着きます。 

こちらの奥からさらに山の頂上まで登ると「日拝所」があり、毎朝そこで朝日を拝む「日拝(にっぱい)」という儀式が行われています。

瀬戸内海まで見渡せる眺めのすばらしいところなのですが、この日は時間がなくてそこまでは行けませんでした。お正月は初日の出を拝みに多くの人が訪れるようです。 

 

神道山茶店の周りには大きな桜の木がたくさん。春のお花見によさそうです。

 

アクセスと周辺の観光スポット

神道山へのアクセスはこちらをどうぞ。

黒住教教典の原典がここに...黒住教宝物館「まることセンター」--アクセスのご案内

 

 

今回はお酒を飲みたかったので、北長瀬駅(岡山駅から山陽本線で一駅)からタクシーを利用しました。バスは本数が少ないため、車かタクシーが便利です。季節によっては神道山から吉備津神社まで歩いてみても。ちょっとした山歩きになるので体力に自信のある方向けですが。吉備津神社からは吉備津駅が最寄り駅で、吉備線に乗って岡山方面へ戻れます。

 

吉備津神社は紫陽花の季節がおすすめ。ときどき神様みたいな白い猫さんがいます(*^^*)

www.harenokunikara.net

 

宗教について思うこと

今まで神道山は関係者しか入れないところだと思っていて、こんなにも気軽に参拝できてしまうのが意外でした。新興宗教と聞くと怪しいのではないかという偏見を持ってたんですけど(関係者の方スミマセン!)、江戸時代後期から続く由緒ある宗教の一つで、岡山には黒住教の信者の方も多いようです。緑のきれいな空気のいい場所なので、ときどき訪れてみるのもいいのかなと感じました。

 

自分自身は特に何か宗教を信じているわけではないのですが、友人がキリスト教に改宗したり、お寺の娘さんが親友だったりと、宗教ってどういうものなんだろうとふと考えることはあります。この記事で書いたように、悲しみを癒してくれるものだと深く実感できたのは、自分が歳を重ねたからこそかもしれません。 

www.harenokunikara.net

 

宗教といえば、岡本太郎が著書『自分の中に毒を持て』の中で、信者なんていらない、信者は一人もいない教祖だ、と言っていたのが印象的でした。信じるも信じないも人それぞれ決めること。宗教はよりどころになるものだけれど、依存しすぎてもいけない。

何かを人に強要したり他の考え方を認めないような信仰であるのなら、警戒してしまうけど、古くからの教えには普遍的に心の支えやこれからの指針になるものが多いのも事実。自分がいいと思うものを取り入れ、もっと教えを学びたいと思えば入信するのも一つの手段ではないかと。

 

黒住教は毎年3月に東日本大震災の追悼式典を他宗教関係者と合同で行っていて、身に付けるものやお祈りの作法など、それぞれの宗教のやり方で行われるのだそうです。信仰をしていなくても自由に参拝する機会を設けたり、他宗教の教えも尊重したりと、そういう意味では寛大で柔軟な宗教なのかなというのが、今回実際に神道山を訪れてみて抱いた感想です。

偏見は相手を知ろうとしないから生まれるもの。知らないのにいい悪いを判断するようなことはしたくないですね。岡山で始まった信仰について、もう少し理解を深めようと思うきっかけをもらえてよかったです。

 

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)