最近ブログ記事のリライトを少しずつやっていて、奈義町の菜の花まつりの記事を見直していたら、思い出したんですね。
私の今の夢を。
2月の岡ブロのレポートで「次の夢が見つからない」なんて言っていたのに、しっかりと書いていたんです。
いつか古民家を買ってリフォームして暮らすのが夢で、その候補の一つがここ奈義町。那岐山に守られているような、不思議と心が落ち着く感覚があります。縁側で猫を撫でながらぼーっとしたり、畑で野菜を育てたり、自然の中でのんびり過ごすのが理想です。
びっくりしました。あったやん、夢!と。
確かに、古民家に住みたいというのは日頃からまわりにも言っていて、旅行に行ったときにもこの辺り空き家あるかなとか、どんな人が住んでるかなとか、普通にパートナーと話してるんですよね。
夢って言ったら立派なこと、大きなことじゃないといけないみたいな思い込みがあって、すっかり自分が思い描いていたもののことを忘れていました。
のどかな奈義町の風景
少し前に自分の好きなことについて、こんなことを呟いていたんですね。
共通点はなんだろう?猫は置いておくとして。点と点を線で繋ぐイメージ。「繋ぐ」はわりと人生のテーマになってるかも。物と人、場所と人、人と人を繋ぐ。
— meg (@yukimegri) 2018年2月27日
この辺りをもうちょっと掘り下げてみるといいのかもなー。
結局、置いておこうとしていた「猫」が要でしたw
語学や国際交流は、もう夢にしなくてもライフワークとして続けていけるようになったからというのもあるかもしれません。
あとは「いつか」と言っているから余計に遠く感じたんでしょうね。確かにすぐに実現したい夢ではないのです。今住んでいる場所をとても気に入っているし、田舎の不便な暮らし、ちょっと(かなり?)面倒くさいご近所付き合いなど、乗り越えないといけない課題もある。岡山市内の比較的便利な暮らしが今はちょうどいい。だからこれは20年ぐらいかけて実現したい夢です。その頃には60歳。それぐらいがきっといい。
田舎にこだわらなくてもいいし、場所ももう少し柔軟に探したいと思っています。
さらに最近友人と話していたのですが、老後はシェアハウスで暮らしたい。岡ブロの生川さんがシェアハウス運営をやりたいことの一つに挙げられていましたが、そのとき提案しようかな?と思いながら言わなかったことがあって。ここに書いときますw
シェアハウスというと、今は家庭を持つ前の若者が集まって暮らしてるというイメージのが大きいと思うんです。でもこれからは、子どもが独立したり、パートナーに先立たれたり、もともと独身だったり、高齢になってからあえて他人と助け合って暮らすというのも一つの選択肢になりそうな気がするんですね。実際私はそうしたい。
シェアハウスで暮らすおじいちゃん、おばあちゃんたちに生川さんがファッションアドバイスをしたりしてもきっと喜ばれると思うんですよ。いくつになってもおしゃれはしたいだろうから。
誰かが病気になったら?介護とかは?なんて現実的なことはとりあえず置いておいて、そういう場を作っていくのも面白いかなと思うのです。
なぜそういう場所を求めるかといえば、結婚する、出産するという人生を選ばなかったから。私には一緒に暮らすパートナーがいます。とても大切な人です。お付き合いは10年以上、同居してから丸3年になります。籍は入れてなくても、もう家族同然です。
ただ、こういう関係は世間的には少数派で理解されにくい。ありがたいことに岡山に来てから出会った友人たちは、そういうのもいいね、とか二人が納得してるなら、と言って温かく受け入れてくれています。
不安や後ろめたさは消せません。ネガティブなことは言葉にしたくないのでできるだけ口には出さず、ここにも書かないようにしていたけれども。特に孫の顔を見れない両親には本当に申し訳ない。
だけど、これは自分の人生なんです。親のために子どもを産むというのは違う。誤解してほしくないのは、結婚したくなかったわけでも、子どもを持ちたくなかったわけでもありません。
ただそういう流れだった。これが二人の関係にとってベストだった、というだけです。これはわかる人にだけ伝わればいい。
岡ブロ主催のチーさんがこう言ってくれたのが嬉しかったし、驚きました。なんでそんなに私のことわかってるんですか?w
megさんは、上手く行くときも、行かないときも、「流れ」に身を任せながら、芯はブレなさそうなので、今はそういう時期なんじゃないかなw
— チー/戸井健吾 (@ktoi_chi) 2018年3月2日
9月は頼みますよw
夢は必要?第10回岡山ブログカレッジ(#岡ブロ)参加レポート https://t.co/rKaHgnFd6I
少し話を戻して、古民家とシェアハウスのこと。
自分が手に入れた古民家をそのままシェアハウスにして同じ思いを持った人たちと暮らすのもいいし、賃貸暮らしと古民家シェア暮らしとの両立というのもいいかもしれない。
そして今朝ふと考えていて繋がったのは、社会とのかかわり。新しい家族を作らなかった自分は、家族の一員としてではなく、社会の一員として母となり、娘となり親戚となって役割を果たせばいい。
岡山に来てからは特に、世代を超えた友人がたくさんできたんですね。母と同世代の方とフラダンス教室で一緒に学んだり、旅行に行ったり、飲みに行ったり。それから英語スクールで教えていた20代の元生徒さんとも今でも連絡を取っていたり。(プロフィールイラストを描いてくれた彼女です。)
「血の繋がらない親戚作り」が人と人とのかかわりが濃い岡山だから、地方都市だからしやすいのかなとも感じています。
英語と中国語を教えていた経験、物事をわかりやすく説明する技術があれば、何かの機会に誰かのお手伝いができるのではと思うのです。それはシェアハウスでもできるだろうし、それ以外の場所ででもいい。
古民家を手に入れるため、思い描いている暮らしのために、お金を稼ぐこととも向き合わないといけない。もっと安定して収入を得るというか、岡ブロのテーマにもあるように、複数の柱をそれぞれしっかりしたものにしていきたいなという思いはありますね。その辺りは今度師匠に相談してみようw
意識高いことはあんまり書きたくないんですけど、また忘れてしまわないように記録に残しておきますw
夢が見つからないという方は、忘れている、もしくはこんなの夢とは言えないという勝手な思い込みがあるからかもしれませんよ。
皆さんの夢は何ですか?
ということで、せっかくだから次回の岡ブロの宣伝をしておきますね(笑)