晴れの国から旅まち巡り

岡山に移住した三重県人によるブログ。岡山を中心に旅やグルメの記録を発信。

「倉敷とことこ」(くらとこ)のライターとして備前焼のお店を取材しました!

倉敷の今を伝えるWebメディア「倉敷とことこ」で、ライターとして書いた記事が公開されました。取材したのは、倉敷美観地区にある「竹宝堂」という備前焼のお店です。

 

 

倉敷美観地区の備前焼竹宝堂

備前焼は食卓で使う器のイメージが大きかったのですが、茶道や華道の世界では「道具」でもあるのです。

抽象的な模様だからこそのよさ、想像することの楽しさを店主さんから教わりました。

 

写真撮影は倉敷とことこ代表のチーさん、執筆を私が担当しました。

 

ちょっと理解しづらいところもあるかもしれませんが、知性を絞り出して書きましたので(笑)ぜひ読んでみてください!

kuratoco.com

 

伝えることの難しさ

ここからはあとがきのようなものなので、記事を一度読んでから見てもらえたらと思います。

まず、自分が茶道や華道について詳しくないために「見立て」という概念を理解するのに苦労しました。

 

NHKの番組『美の壺』で備前焼が取り上げられた回があり、バックナンバーを読んでみて、なんとなくイメージを掴むことができたんです。

File82 備前焼|美の壺

初めに出てくるアメリカ人のロバートさんの言葉に大きく頷きながら読み進めていきました。

この素朴な味の何が美しいのか… 日本人は、どこが良いと思っているのか… 僕には謎でした。これを理解すれば、日本の心が理解できるかなと思って…やっぱり、言葉にならない。英語にならないね。頭じゃなくて心。自分のテーブルで使って心で感じることだと思いますね。 

 

竹宝堂の記事を執筆するにあたり、いちばん大変だったのがインタビューの内容を読者にわかるようにどう伝えたらいいか、ということ。

 

年末に体調を崩していたのもあり、途中から筆が思うように進まなくなってしまって。そんなときにデザイン職でライターの仕事も始めた友人と、カフェ「folklore」で会って話をしました。

彼女は表現力を磨くために、芥川龍之介の小説を書写していると教えてくれたんです。小説の書写!とてもアナログだけどなるほど、と思いました。

 

それでふと思い出したのが、江國香織さんのエッセイ。

『日のあたる白い壁』という絵画をテーマにしたエッセイです。

日のあたる白い壁 (集英社文庫)

日のあたる白い壁 (集英社文庫)

 

 

表紙は大原美術館に貯蔵されている児島虎次郎の作品。一昨年12月末で閉鎖されてしまった倉敷美観地区の児島虎次郎記念館で買いました。

 

自分の感じたことをメモするためにツイートしたのですが、外国語を母語に訳すのはもちろん、誰かの言葉や自分の思いを言語化することも一種の「翻訳」なんですよね。

絵画は感情を翻訳することができるというのがゴーギャンの言葉。確かに、絵画の方が言葉にならない思いをより的確に表現できるのかもしれません。

 

『美の壺』のところで挙げたロバートさんが「言葉にならない。英語にならないね。」と言っているのがまさにそうで。外国語の翻訳も、聞いたことや感じたことを自分の言葉で伝えるときにも、言語化することによって、元の意味とのずれがどうしても生まれてしまいます。

 

語学習得のコツを書いた記事で触れましたが、日本語と外国語は1対1ではないから100%同じ意味には訳せないんです。だからどこかで妥協しないといけない。それでもできるだけ近いところを目指す。本当に根気のいる作業です。

 

インタビューを記事に起こすという作業は、翻訳と同じなんだなと。そう気付けたことで、執筆の「落としどころ」をある程度定めることができました。

 

わかりやすいことが正義なのか

竹宝堂の記事は、「倉敷とことこ」の他の記事と比べると、どうしても少し難しい部分があると思います。

だけどそれは、店主さんの言葉をできるだけ元の意味に近いかたちで「翻訳」した結果なのです。お話自体、本当に興味深くて。

 

どこまで感じ取ってもらえるかわからないのですが、「倉敷とことこ」が人にスポットを当てるメディアだからこそ、今回はちょっとわかりにくい部分をわかりにくいままに記事を完成させました。

それ故に人によって、様々な捉え方ができると思うんですね。読んだ方がそれぞれに自由に感じてほしいです。記事の中に出てきた備前焼の模様のように。

 

最後に、もう一つ記事には書かなかったけど、店主さんの話の中で気になったことがあります。

それは、茶道や華道はいわゆる「芸術」とは異なるということ。いったい何が違うんだろうとずっと腑に落ちなかったのですが、記事を書き上げてぼんやりとわかってきたんですね。

 

茶道や華道の「道」。日本古来からある道を極めるということとと、芸術とは少し概念が違うのではないか。おそらく「芸術」という言葉自体が比較的新しいもの、英語のartの訳語として生まれただけのものではないのだろうか、と推測しました。

 

調べてみたら、本当にそうだったんです!我ながらびっくり(笑)

 

「芸術」という言葉は、art (アート)の訳語として明治時代に生まれたが、カタカナの「アート」とともに今ではすっかり日本語の中にとけ込んでいる 。 

www.kitashirakawa.jp

 

だいたい英語と中国語を習得しようというぐらい、自分はかなりの言語マニアなので、こういうことが気になって仕方ないのです(;´∀`)

この記事にも、言葉を訳していく中で元の意味とは変わって伝わってしまうということが紹介されています。興味のある方は目を通してみてください。

 

以上の内容を踏まえて、もう一度竹宝堂の記事を読んでいただくと、また新たな発見があるかもしれません。

kuratoco.com

 

ぜひ、多くの人に備前焼のことを知ってもらえたらと思います。そしてよかったら、SNSで感想をシェアくださいね。