aikoのアルバム『May Dream』を買いました。
aikoの音楽はスルメみたいだ、と本人もファンもよく言っていたと思うのだけど、噛めば噛むほど味が出る、聴けば聴くほど良さがわかる。まさにそんなことを改めて感じたアルバムでした。
このアルバムを買ってから、久しぶりに家でゆっくり音楽を聴いた気がします。何年も前に贈り物でもらったウォークマンにたくさんの曲を入れているけど、音楽は落ち着いて聴きたいと思っていて、結局聴くのは長距離移動のときだけ。
こんなにじっくり聴いたのはもう何年ぶりだろうというぐらい、ずっと長い間音楽だけに集中することがなかったことに気付きました。
大量の音楽を一つの場所で管理できるようになって、検索もシャッフルも簡単にできて、カセットやMDだった学生時代(歳がばれる!笑)と比べたら格段に便利になっています。なのに不思議なことに、いつでも聴けると思うからかかえって聴かなくなってしまうんですよね。
学生の頃は音楽を保存するにしても、MDでせいぜいCD6枚分ぐらい。シャッフルして聴くよりも、そのままの順番で聴くことの方が多かったから、曲が終わる頃には次はあの曲だなってすぐにわかったりします。
アーティストは曲順も大事にしながら作っているんだろうなっていうのを、聴いていて強く感じるときもあります。例えば今回のaikoのアルバムだと、4曲目の『もっと』に入るタイミングが絶妙だったし、古い作品なら『暁のラブレター』の1曲目『熱』から2曲目『彼の落書き』への流れが好き。ここを別々で聴くのはなんだかもったいないと思ってしまいます。
そういえばアジカンの後藤さんは、最近はシャッフルされることも多いからそれでも自然になるように曲順を考えている、というようなことをインタビューか何かで言っていました。
何度も聴いていたアルバムは頭の中に曲の流れがまるごと残っていたりします。旅行中に聴いていた曲を耳にすれば、見た景色とかその場の空気とかが瞬時によみがえってきます。
パソコンやインターネット上にたくさんの音楽が保存できて、youtubeを開けばいつでも好きな音楽が検索できて。便利なことはいいことだけど、音楽を手に入れることの価値や重みみたいなのはずいぶんと減ってしまったようにも思います。ちょっと手間をかけた方が、心に残る。そのときの空気や感じたことと一緒に刻まれる。便利になって、時間を短縮できて、何かをこなすことばっかり考えていないだろうか、とふと自分に問いかけたくなりました。
ちょっと思い出したときにでも、CD1枚をじっくり聴く時間を持ちたい。そういう一見アナログっぽいことが、贅沢な時間の過ごし方になりつつあるのかもしれません。